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未来や良心を語れた 初代ホンダ・Z

ホンダZこと水中めがね

←1999年10月30日撮影
約10年前のヤード(事務所の裏庭)です。
約20年前に入手したランクル40系とホンダZが朽ちていました。

今回は1990年初頭に「ホンダファン」であった頃のお話しです。

私が最初に買った車はホンダ・シビック1988年式(新車)です。
この車はあまりに耐久性がなかかった為に・・・
僅か1年半で手放しています。
土曜の夜に壊して、日曜に直す・・・
本当に良く壊れました。(ほとんど、ドライバーが問題)

ブログもどきではあちらこちらで、「自動車の耐久性」について語られています。
シビックを降りたのは自動車その物の耐久性の無さから。
ランクル40系を降りたのは部品の供給と政治家と自動車メーカーの気まぐれに起因する不安から。

最終的に、自動車その物の耐久性と部品の供給体制からボルボ240にのめり込むという流れで自動車人生の大半を語れます。

今回の主役は自動車人生の途中で寄り道をした、ホンダ・Z。

生産終了から10年も経っていないのに、部品の供給に不安が出てきたランクル40系('80年代末期)
一方で、生産終了から15年('80年代末期)経っているのに、どんなパーツも出てきたホンダ。
このホンダ・Zはトヨタの部品供給や考えた方に不満を感じ、耐久性は劣ると承知しながらも「ホンダに戻ろうかな~」と考えながらヤードに迎えた、Zのお話しです。

記録画像は1枚のみ

赤いホンダZ

現存している記録画像は1枚のみ。
その使い回しです。

この車は知り合いの車屋さんから頂いてきました。
1989年くらいだったと記憶しています。(私が19歳)
書類がなかったことから、一度もナンバーを付けることなく売却(無償?)してしまいました。
確か・・・2000年くらいにヤフオクで処分しています。
10年程度ヤードの置物になっていました。

確か、「カスタム」とエンブレムには書かれていました。
マニアな方なら・・・いろいとわかるのでしょうが私には・・・チンプンカンプンです。
車両は無償でしたがサービスマニュアルやパーツ表は高値で引き取られたと記憶しています。
この当時('80年代後半~'90年代中頃)は今のようにネットがありませんでした。
田舎で、自分で整備を行うにはサービスマニュアルが命です。
ですので・・・
購入した、全ての車はサービスマニュアルを購入していました。
部品商に出向き、パーツを取り寄せ。
解体屋に足繁く通って勉強。
塗装店に顔を覚えられるまで、質問して・・・

10代後半から20代前半の私は完全に・・・エンスーさんだったんですね。

さて、本題に戻ります。
何を言いたいかと言うと・・・
この当時のホンダ車は古くなってもほとんどのパーツが部品商にて取り寄せ可能でした。
この車はサービスマニュアルやパーツ表のみだったのですが欠品はありませんでした。
Zよりも、新しいはずのランドクルーザー40系では同じ時期にサービスマニュアルなどは既に欠品となっていました。
新品の部品も、年ごとに高価になっていったと記憶してます。
具体的な事は覚えていないのですが「トヨタには商売臭」「ホンダには良心」を感じていました。

この頃(バブル末期)の、私の口癖・・・
「もう一台、赤いZも持ってるよ!」
Z32誤認を狙う、10代後半の口癖でした。

「2004年式だけど、赤いコーンズ物も所有しています。MTです」
これは2006年当時アウディA6オールロードクワトロに乗っていった先で使っていた手口です。
念のため解説・・・
アウディA6オールロードクワトロに乗っている=お金持ち(社用車だけど・・・)
ついでに、IT企業の社長・・・(ITバブル崩壊後だけど)
「コーンズ物で赤」と言えば・・・「馬ですか?(360モデナ)」
という、誤認を誘っていました。
実際はフィアットのミニバン=ムルティプラというオチでした。

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